納骨堂

 
写真は、納骨堂の立替えを含む寺院の整備計画の参考にと、福井市内のある寺院の新しい納骨堂を見学させていただいた時のもの。
 
遺骨を納める可動の棚が左右両側に並び、あわせて500以上の骨壺を納めることが出来る。
遺族の方は、納められている場所をおぼえていて、ご自身でも簡単に場所にアクセスできるようになっている。
これまで、お寺に関係なく生活されてきた都市型の人たちが、いざ、家族の死に直面した時に、葬儀までは葬祭場が段取りしてくれるが、その後の死者に対する振舞いまでは面倒は見てくれない。
その時になって、はじめてお寺に頼る方が少なくなく、この納骨堂のように、受け入れてくれる寺院が大都市や市街地に増えている。
納骨堂に遺骨を納めて、お墓を持たない方も増えているという。
この形がさらに進むと、東京や大阪にあるような大規模な寺院が経営する納骨システムになる。
そこでは、宗教、宗派に関係なく遺骨を受け入れ、供養をしてくれる。
遺族がお参りする時には、全自動のシステムになっていて、カードキーを差し込むだけでお参りする祭壇が出てきて、費用もその都度、自動で銀行引落しされるとのことだ。
本来、生者のための道場であった寺院が、死者の供養の場になり、近代的なシステムにより合理的な経営戦略が取組まれている。
人間がみな持つ、不合理な生・病・老の苦しみについて、その知恵を宗教に求めなくなってしまったために、宗教が合理的な考え方を取り入れないといけない。
2011.03.24

 

 春とおし

 

 
 
真冬並みの寒気が日本中を覆い、福井でも前が白くなるほど雪が降る。
 
被災地で避難生活をされている方々には、つらさに追い討ちをかけるほどの天気だ。
この地震の被害は、神戸の大震災を大きく超えると思われる。また、被害地域が広範囲にわたっているため、あらゆる分野で日本中にすでに影響が出ている。
被害に遭われ、現在もその苦難と立ち向かわれている方々を想うと、このようなことを言うのは誠に不謹慎だが、物流が日本中に及ぶ今のシステムでは、ある地域の災害が広範囲に影響する。
被災地から遠く離れた福井でも、スーパーの食品売り場では品薄になっているものが出ている。
建築の分野でも、東北地方の工場で集中して作られる建材は品薄どころか、しばらくは手に入らない。
当面必要と予想されるモノについては、業者さんに協力してもらいメドを付けたが、それをしないと、成り立たない今の私の仕事の在り方自身が問われているように思う。
このような災害を想定していた訳ではないが、この仕事を始めたときから、建築の作り方を出来るだけ単純にしたいと考えていた。
工場で既成品化された珍しい材料や技術に頼ることになると、長続きせずに簡単に破綻をするのではと考えていたので、原材料→現場加工→完成という、あまり工業製品に頼らない単純な工程を意識していた。
それでも、厳しい価格競争の中、合理化という「楽」をしないと淘汰されてしまうのではないか。
頭の固い古いやり方だと、相手にされないのではないかと心配し、多少は世間のやり方にあわせてきた。しかし、遠く離れた大きな工場で、大量生産し、それを広く売る大きなシステムの中に入っていると、何かの時に振り回されることになる。
もっと小さなシステムで大きな効果が発揮できるような作り方に戻したいと考えている。
モノを作る基本は、身体の大きさをは踏み外さない謙虚さが大事だ。
 2011.03.17

 

 さくら

 
  
 
庭に小さなサクラの木がある。
 
何年か前にお寺の仕事をした時、工事への影響から何本かの大きな木を切らなければならず、この植えられたばかりの桜の苗木も処分されることになっていた。
住宅の庭に花をつける木はあまり好まれず、特にお寺や神社に縁のあるモノを家に持ち帰ることは敬遠されることをよく知っていたが、その手のことは全く気にしない性分なので、かわいそうな気持ちに負けて、処分予定のゴミの中から持ち帰ってきた。
まだ、苗木なのでいいが、これが大きくなると、お隣さんへ枯れ葉が落ちる、毛虫がつく、害虫が隣の庭木に移る、などのことが心配されるため、うちの小さな庭ではなかなかいい場所がないので、植えてはまた場所を変えることを繰り返していた。
そのため、木にはストレスとなり、最初の年はかわいい小さな花を付けたが、その後は花をつけることはなかった。
今年は、なんとか花をつけてほしいと思うが、根付いてくれればそれで十分とも思っている。
2011.03.15