黒モルタル

 

 
 

サンプル、乾くと白化してくるのでなかなか難しい


 
玄関の土間をモルタルに墨を入れて仕上げている。

 
黒さの加減を調整するために、いくつかのサンプルを作ったが、白華を起こしたり、乾くに従い思う色にならなかったりするのでなかなか難しく、塗装にすることも考えたが、歩行により短期間で傷みやすいことを考えると、厚みがある仕上げがいい。
玄関なので汚れが目立ちやすい濃い色は避けたほうがいいという考え方もあり、実際、黒石を貼った床では泥の汚れが目立ちやすく、水をまいて清めることが必要になる。
しかし、水で清掃した後の清らかさは、お客様を迎える際には必要不可欠な設えになるので、あえて黒の床にしている。
セメントに入れる墨は、かなり入れないと色が出てこないし、乾燥時に白けてくるので、コテ押えが大事になる。
年月の経過により、どのように変わってくるのかは、これから観察していくことになるが、完成時点では予想を超える美しさが出ている。

 2016.01.16

 

 継手と仕口

 

 
 
福井市森田で建設中の木造住宅の柱や梁、桁にはすべて福井県産材の杉材を使っている。
ここでの接合方法には、木と木を組み合わせて木栓等で固定する、伝統的な「継手」と「仕口」を採用している。
「継手」とは長さ方向に継ぐ方法で、梁桁のように同一方向部材の接合部のことで、「仕口」とは方向が異なる接合部で、柱と梁桁や、桁に直行する梁の交点のこと。
 

柱への仕口ホゾ


柱と梁桁の仕口は、ホゾ差し込栓打ちにした。直行方向の梁桁の仕口が同じ柱に取り付くので、ホゾは上下半分の成になる。
あまり強くない仕口なので、筋交いなどの構造壁が取り付く柱の場合には補強が必要なる。
組む時に柱間を広げてホゾを差し込み、ケヤキなどの堅木の栓を打ち込んで締めるが、今回は杉の梁桁なので、ケヤキに対して柔らかい杉がつぶれてしまわないように注意をしなければならない。
一本の柱に3方向、4方向から梁が取り付く時には仕口も多少複雑になり、技術の見せ所にもなる。
 

台持継


梁の継手は台持ち継ぎ、小屋梁の丸太に使われる継手で、継手の芯に力を受ける支点がくることが多い。ここでは継手面に木栓を貫通させていて、以前に永平寺法堂の小屋丸太梁で見た方法。
 

追掛大栓継


追掛大栓継ぎ(おっかけだいせんつぎ)は桁の継手によく使われる。
支点から持ち出して継ぐ方法で、強度的に優れている。栓を使わない方法もあるが、ここでは通しの栓を使用している。
 

中心に立てたケヤキの柱には3方向からの梁の仕口がある。


家の中心にケヤキの柱を建て、それに梁桁が3方から差し込まれるが、すべての方向からその仕口が見えるので、込栓と竿車知継ぎ(さおしゃちつぎ)にしている。
一方の梁から柱を貫通してもう一方の梁へ繋ぐ継手をつくり出し、車知栓で引っぱりこんでいる。
このときも柔らかい杉材に堅木のケヤキの栓を打ち込むため、材を引込むより先に杉材がめり込まないように、優しく取り扱うことが必要になる。

木と木を組み合わせる「継手」「仕口」は強度的には強くない。
そのため現代住宅の在来工法では、ボルトなどの金物が必須になっていて、地震や台風の時には継手、仕口に取付けられたボルトが働き、接合部が壊れたり、外れたりしないようにしている。
特に、一般的になってきている大きな空間のリビングや大開口の窓を計画する時には、構造壁が一部分に偏り、地震時に大きな力が集中することになるため、その部分の接合部を補強するためボルトが必要になる。
他方で、木材は乾燥で収縮し、経年変化でやせていくので、ボルトは緩んでいくことになる。
また、金属は結露を呼び起こすので、周囲の材質を弱らせてしまい、長期耐用を考えると、ボルトなどの強い金属は効いているのかいないのか疑問がある。
そのため、住宅で仕様規定されているボルトなどの補強金物は、社寺建築の現場では敬遠されていて、極力使わない方法が検討されることになる。
今回、この住宅では「長期優良住宅」の認定を受けていて、一般的な構造チェックに加えて、各接合部に働く力が検討されている。基本となる構造部分が長期にわたり安定するように、補強金物の仕様を最低限にしたいと考え、木と木を組み合わせる継手仕口を基本にしている。
 2015.10.29

 

 土蔵についての研修会

 

小浜の土蔵。明治期の蔵座敷、写真奥の土蔵は江戸後期。


 
ふくいヘリテージ協議会の伝統技能継承部会の主催で「土蔵の意匠と技術」についての研修会を行った。
 
ふくいヘリテージ協議会は福井県内の歴史的、文化財的な建造物を見いだし、それらを保存、活用することを目的に、昨年、立ち上げられた。
今回の研修対象の土蔵は、火災から財産を守ることを目的に造られた建物で、裕福であることのシンボルでもある。その形は梁間2間から3間、桁行き3間から5間程度の切妻の瓦屋根を載せた単純な建築で、「春日権現験記絵巻」(1309年)にみる形から、今も目にする土蔵は、大きく変わらないので、原初の姿が今も残る珍しい建築と言える。
 

明治期の土蔵。腰壁はナマコ壁で屋根は若狭瓦葺き。


土蔵には、米、みそ、酒などの食料品から、布団、座布団、衣類などの日用品、そして貴重品とその家の財産全部を収納されるため、財産が多い家は敷地内にいくつもの土蔵を構えることになる。当然、江戸時代までは、ごく一部のお金持ちの敷地でしか土蔵を見ることができず、明治になって国全体が豊かになり、一般の家、特に農家で多くの土蔵が建てられた。
土蔵の形は単純だが、家の財産を保護する目的で建てられる土蔵には、細部の意匠や構造には地域独特の特徴が表れている。
 

明治後期のレンガ蔵の建物に土蔵が覆屋のように増築されている。


この地域の歴史的、風土的な景観を構成する土蔵は、年々、少なくなっている。
それは、新しく建てられる住宅部に多くの収納をとることが便利で、住宅を建て替える際に不要になり、また、土蔵は形態は単純でも、その家の財産の代表でもあるため、造る際に費用をかけて造られるが、それは修理にも多くの費用がかかることになり、維持していくことが困難になることが関係していると思われる。
そして何よりも、土蔵が持つシンボル的な意味(豊かさや裕福)が魅力を持たなくなってきていることが関係しているとも考えられるが、土蔵が減っていくことは、土蔵の技術が無くなっていくことを意味し、土蔵を次の世代に残していくことができなくなる。
土蔵の特徴的な技術は、外壁に厚く塗られる土壁にあり、泥を厚く付けるために、丸竹で下地を組み、縄を絡ませていくことで土壁の崩落を防いでいる。
また、防火上、屋根の構造にも地域的な特徴があり、屋根の母屋や垂木に土を塗付け、野地板の上に厚く土を盛り、瓦を葺く方法と、野地板の上に厚く土を葺いた上で、また、登り木を架けて屋根を造り、瓦を葺く方法があり、福井県内でも地域により違いがある。
入口にも特徴があり、多く見られるのは、通風性のある板戸と防火性のある土戸の2枚の引き戸が対になっているものだが、よく造られた土蔵には、観音開きの厚い土戸がつく。
防火のため、窓は少ないが、その窓に防火性を持たせるために、土戸を付けるが、豪商の土蔵になると、やはり、印籠しゃくりされた開き戸が付けられ、左官で模様が描かれている。
土蔵の内部は、ケヤキやクリの柱、梁を現しにして、内壁に漆喰などを塗り仕上げられていて、財産を保管する建物として、位置付けられていることが良くわかる。
近年では、土蔵は新しく造られることはほぼ無くなり、数も少なくなっているが、土蔵が本来持つ意味が、地域の歴史的な特徴を表していて、これを残していくことは、地域の魅力を残していくことにつながる。
また、土蔵には地域的な建築技術が凝縮されており、その意味でも、土蔵を次の世代に残していく必要があると考えている。
 2015.10.24